
もう10年以上も前、横須賀線の中でクラスメートだったYさんとその日の出来事を話しあっていた。横浜を過ぎて、「これ読んでみて」とYさんはポケットから紙を取り出した、Yさんの手書きの文字が並んでいた。中学以来目を通すことのなかった賢治の詩だった、知っていたつもりで、その時はじめて感動した。いつもこの詩を持っているYさん、この詩をそのまま理解できる心境にいる人にこの詩を差し出すYさんを僕は尊敬している。その詩を書いた宮沢賢治を尊敬している。
<11月21日朝日新聞:ワン・ミン先生の文章>
重慶の四川外語学院の大学院・日本研究クラスの授業中、私は一つの詩に感動を抑えられなかった。詩は慈雨のように心に染み入ってきた。
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
・・・
イツモシズカニワラッテイル
その1行で、私は「諦観(ていかん)の境地」というものを知った。自然体の素朴は美しい。自己昇華の美意識というものに圧倒された。戦争の記憶にもとづいた「鬼のような」日本人像ではない日本人を発見した。
「雨ニモマケズ」
雨にも負けず
風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ
丈夫なからだをもち
慾はなく
決して怒らず
いつも静かに笑っている
一日に玄米四合と
味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを
自分を勘定に入れずに
よく見聞きし分かり
そして忘れず
野原の松の林の陰の
小さな萱ぶきの小屋にいて
東に病気の子供あれば
行って看病してやり
西に疲れた母あれば
行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば
行ってこわがらなくてもいいといい
北に喧嘩や訴訟があれば
つまらないからやめろといい
日照りの時は涙を流し
寒さの夏はおろおろ歩き
みんなにでくのぼーと呼ばれ
褒められもせず
苦にもされず
そういうものに
わたしは
なりたい