ビートルは置いておくだけで満足出来るのだから、昨日や今日のようにバスと電車で行動するのでいい。徒歩では一眼カメラを持ち運べないのが難点、「車で市街地を通り抜けて行く」のは今の時代の傍観者のように思え、「街の中を歩く」のはこの時代を生きているような(大袈裟)感じがする。久し振りに本だけかかえて駅に向かうのがスゴく自由に感じるのだから僕は車に乗りすぎているのだろう。昨日は名古屋の街に歩き出す時、ホテルからトロントの街に足を踏み出す時のあの気持ちを思い出した、ヘミングウェイの時代が残るトロントの旧市街を歩くあの気持ち。昨日も今日も時代の当事者のような気持ちで心地良い刺激が楽しかった。隣の柴犬(モモコ)に注視されながら帰宅し、ビートルのキーを持ち出しビートルの幌を開けてやった。明日の朝早く起きれたら、電車で通勤しようと思う。沈丁花のつぼみが大きい。
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