チェロレッスンから帰る時はJR日野駅を横に見ながら走る。僕は以前、逗子に住んでいたので、朝の逗子の海にやって来た友人が遠路はるばる奥多摩のそばの日野から早朝にやって来たというので驚いたことがあった。今はその山のそばだと思っていた日野を越えて八王子に帰る生活。海のそばに住んでいた頃の生活なんて今思うと夢のような生活だったのかもしれない。もともと僕は車が嫌いだったので、週末はいつも赤いロードレーサーで逗子の家を出て鎌倉の由比ケ浜まで行き、僕の小さなヨット(シーホッパー、一人乗り)でレース練習をしていました。仕事に夢中になるまでは僕のシーホッパーが今のビートルのような存在でした。そのシーホッパーは今は八王子の家の庭に保管してある。日曜日の朝11時に逗子マリーナと稲村ケ崎を結ぶ線上の海上にみんなが自分達のヨットに乗って集合し来て、日没までレース練習をしていたのは本当に夢のよう。チェロを積んだオープンカーに乗っている僕なんてあの頃の僕には想像できないはず。
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