やっと書けそうなので、自分の記録のために書いておく。
3年半前、病床のチャコ(妹)にチャコの息子T(大学4年)が、彼女を連れて来て、明日入籍したいと報告した。それを聞いたチャコは喜んだが、僕には宣告されたような複雑な気持ちだった、チャコに残酷だと思った。その夕方に同じ報告をするために二人は彼女の奈良の実家に向かって行った。Tの入籍1週間後にチャコは亡くなった。ステージ4の膵臓癌が見つかって半年後のことだった。
結婚の半年後にTは大学を卒業して就職し、1年後には可愛い女の子が生まれた。車に興味がなかったTも仕事と新しい家族のために免許を取り、仕事も新婚生活も充実していたと思う。
3年後の去年の秋にTは豊洲のマンションを購入した。豊洲より郊外の方がいいと僕は言ってみたが、Tは育った豊洲にいつもこだわっていたから僕の意見に素直に耳を傾ける努力だけした。
1月19日(木)の夜にTの会社の社長から「Tが心肺停止」と電話があった。25歳になったばかりのTに何が起きているのか僕にはわからなかった。
52歳の上司と二人で、湖の中央に設置されていた環境測定装置を交換する作業をしていたらしい。警察の調べでは作業中に船から一人が落水し、もう一人が助けようとしたらしい。事故から2時間近く過ぎた夜の6時半に水の中の二人が発見された。関東地方に雪の予報が出ていた寒い日だった。
夜の11時に小山市の病院に着くと、ベッドに寝かされていたTはスヤスヤと眠っているように見えた、床には奥さんが泣き崩れていた、ずーっと。夜中の0時過ぎに栃木県警の検視が始まり、夜中の2時にTは司法解剖のために警察に移送されて行った。
それから2日も経ってから司法解剖が執刀され溺死と診断された。別に進行していた警察の捜査でも事件性がないことが確認された。通夜と葬儀の日取りが決まり、いたたまれない準備が延々と続いた。チャコの時と同じ火葬場から帰ってきた時も夢の中を彷徨っているような気持ちだった。四十九日にTはチャコと同じ墓に納骨された。今も時々、信じられない気持ちに包まれる。
2017/04/05 yosio
最近のコメント