花巻空港の北側の道から花巻農業高校の正門に右折で入ると高校に入門する橋の手前に「羅須地人協会」がある。僕達はイリーガルに高校の西門から入り、「2トン以上の車は危険につき通行厳禁」というその橋を渡って「羅須地人協会」にたどり着いた。「羅須地人協会」って、宮沢賢治が農業学校を辞めて農業活動を実践するためにつくった会で、羅須(ラス)の意味のひとつに「非修羅」という説がある(宮沢賢治記念館の説明)。その羅須地人協会の建物は宮沢賢治が農作業を行うために住んでいた日本家屋(写真上の↑)で、元々は農業高校から5km南(現・賢治詩碑のある所)から移築したもの。その家の裏の黒板に「下の畑におります」という賢治の字が残っている。高校生達が時々チョークでなぞっているのだそう。
その高校の正面に「我ら光の道を踏む」と書いてある、宮沢賢治が作った校歌。
花巻農業高校から国道4号線を5km南下すると、「宮沢賢治詩碑」がある。そこが下の畑を見下ろす事の出来る「羅須地人協会」の跡地、賢治の住まい。僕達のように夕焼けの頃に行くと下の畑がとても奇麗だけど、逆光で詩碑を読むことが出来ない。
この子は羅須地人協会跡地から歩いて出て来る僕をずーっと待っていてくれた、いろいろ挨拶した後、最後に写真をと言ってもニコニコしていた。9月30日のこと。
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